日本障害者協議会(JD)サマーセミナー・2018 優生学の歴史と日本の今の課題 (市野川容孝) 目次 【1】優生学とは、そもそも何か 【2】優生学はナチズムか?(優生学≠ナチズム) 【3】日本の優生政策 (敗戦後の本格化) 【4】日本で、今、なされるべきこと 地球環境問題の深刻さについて論じた、アル・ゴアの『不都合な真実』(2006年)。同じ言葉は、敗戦後の日本の優生政策を問いなおす際にも、あてはまる。 ========== 【1】優生学とは、そもそも何か ◇ Francis Galton (1822-1911)による定義: 「優生学(eugenics)」= 「より適した品種(races)ないし血統(strains of blood)に対して、それがより不適な品種ないし血統を速やかに凌駕できるようにするあらゆる影響を探求する(…)血統改善の科学」(F. Galton, Inquiries into Human Faculty. 1883. p.25) ◇ Alfred Ploetz (1860-1940)の「生殖衛生学」: 「生殖衛生学とは、生殖細胞の変異がもたらす影響とその人為的淘汰に関する学である。淘汰を望まない[社会(福祉)の]主張と、淘汰を望む人種衛生学の主張の対立に関する、われわれの解決策は、選別という問題に関するかぎり、人間の淘汰と除去を、それが生まれてくる細胞の段階に移行させ、生殖細胞を人為的に淘汰すること、これに他ならない」(A. Ploetz, Die Tuchtigkeit unserer Rasse und der Schutz der Schawachen. 1895. S.231)。 ⇒ 優生学の核心にあるのは、人間の淘汰を出生前に完了すること 。しかし、20世紀前半に可能だった医療技術は、不妊手術か中絶手術のみ。プレッツらの優生学者の夢は、1960年代以降の出生前診断の諸技術(NIPTを含む)によって初めて実現可能となった。 【2】優生学はナチズムか?(優生学≠ナチズム) 1.優生学(優生政策)はナチ時代のドイツ以外にも広汎に見られる(すなわち、優生学をナチズムに閉じ込めることはできない)。 2.ナチズムは優生学以外の(優生学者が批判した)ものによっても構成されている(すなわち、ナチズムを優生学に閉じ込めることもできない)。 ・確かに、優生学とナチズムが重なる部分はある(たとえば、断種法、優生学的理由にもとづく婚姻禁止)。しかし、重なる部分があるからと言って、両者を「=」(イコール)で結ぶことはできない。 ・ナチズムを構成するもの: 戦争,人種差別(反ユダヤ主義),安楽死計画。 ・優生学者が主張したもの: 反戦平和,混血の奨励,ユダヤ人の優生学者,安楽死批判。 ◇ 反戦平和の優生学: 「近い将来、戦争が開始されれば、それがもたらす逆淘汰の影響は、きわめて恐ろしいものになるでしょう。なぜなら、戦争は、生まれつき優秀な者の出生率が低下するのをくい止め、低価値な資質の持ち主を民族内部から除去するために人種衛生学が全精力を傾けておこなうことのすべてを、一瞬のうちに、何百倍、何千倍の規模で無に帰してしまうからであり、そのことによって、われわれの種は向上への道から突き落とされ、西洋文化は戦勝国においても、敗戦国においても、致命的な打撃を被ることになるからです。(…)人種衛生学は平和においてのみ、その実を結ぶことができるのであって、それ以外に道はありえません!(…)われわれ人種衛生学者は平和を創造し、これを維持するよう誠心誠意、努力しなければならないのです」(A. Ploetz, Rassenhygiene und Krieg. 1935)。 ◇ ユダヤ人の優生学者: ・Richard Goldschmidt (1878-1958)、Franz Josef Kallmann (1897-1965)、など。 ・ゴルトシュミットもカルマンも、ユダヤ人であることを理由に1930年代半ばにドイツからアメリカへの亡命を余儀なくされたが、両者ともナチの断種法には肯定的であり、カルマンに至っては、統合失調症は劣性の遺伝病なので、発症していない保因者も不妊手術の対象にすべきで、ナチの断種法はまだ生ぬるいと批判した。ちなみに、ナチの断種法と日本の優生保護法の違いの一つは、前者が不妊手術の対象を遺伝性とされた疾患や障害のある人本人に限定していたのに対して、後者は配偶者や近親者がそうである(が、自分はそうではない)人も対象にしていた点にある。日本の優生保護法の方が、カルマンの主張に近い。 ◇ 安楽死を否定する優生学: 「人種衛生学にとって、安楽死(Euthanasie)は何ら重要な意味をもたない。[ビンディングとホッヘによって]安楽死の対象と目されている人間は、そもそも子どもを産むようなことはない。そのような人間が子どもをつくる可能性があるとしても、そのときは不妊手術によって生殖を阻めばよいのである。・・・安楽死は人種衛生学の手段として支持されることはありえない。これに反対する際の最も重要な根拠は、もし不治の病をもつ子どもの抹殺が解禁されれば、社会秩序の根源的な基盤である、個々人の生命に対する畏敬の念が著しく損なわれてしまうということである」(Fritz Lenz, Menschliche Auslese und Rassenhygiene (Eugenik). 4.Aufl. 1932. S.306-7)。 【3】日本の優生政策(敗戦後の本格化) ◇ 国民優生法(1940年制定)の失敗(=家制度・家族国家の前での挫折): 1940年3月12日の衆議院本会議での村松久義(1898-1972,立憲民政党,戦後は自由党→自民党)の発言。「日本は家族制度の国であるが、 子種を失うことによって、先祖の祀りは誰がするか、固有の家族制度の精神を破壊するものではないか」。同じく曾和義弌(そわぎいち)の発言。「断種」は「我が日本精神に反するものである」,「我が日本の国は一元的の家族国家である、即ち遡れば総て同一血統から出ている」,「元が一つになっている、網の目のごときもの」の「一つに悪質があるからと云って、それを直ちに断種して顧みない」「かくのごとき考え方は、決してこれは日本主義ではないと考えるのであります」。 ◇ 人口問題研究会「新人口政策基本方針に関する建議」(1946年11月): 1946年1月30日、厚生省内開催の「人口問題懇談会」を継承して、1946年5月、財団法人「人口問題研究会」内に、 「ポツダム宣言受諾による新情勢に適応したる新しき人口政策」を検討する「人口政策委員会」を設置。委員に、市川房枝、大河内一男、戸田貞三、加藤シヅエ、永井潜、吉益脩夫、矢内原忠雄、瀬木三雄ら。「国民優生法がみるべき成果をあげなかったについては種々の理由があるが、特にそれが任意法なることに大きな関係をもっている。われわれはこれを強制法に改めることを必要と認めるものである」。 ◇ 優生保護法成立の過程: ・1947年12月1日。加藤シヅエ、福田昌子、太田典礼の3名による社会党案が、衆議院に提出されるも、満足に審議されることなく、頓挫。同案第3章は「強制断種」について定めていた。 ・1948年6月12日。参議院で、谷口弥三郎(民主党)ら4名が「優生保護法案」を提出。同院厚生委員会にて、審議の末、6月22日、全会一致で可決。翌23日、参議院の本会議にて、やはり全会一致で可決。 ・1948年6月24日。衆議院にて、太田典礼、大原博夫、加藤シヅエ、榊原享、武田キヨ、福田昌子の6名が、参議院で谷口らが提出したのと同一の「優生保護法案」を提出。同院厚生委員会にて、審議の末、6月28日午前、反対なしで可決。同日午後の衆議院本会議にて、全会一致で可決。 ・1947年5月24日から翌48年3月10日までの片山哲内閣は、社会党、民主党、国民協同党の連立政権。これに続く、芦田均内閣(1948年10月15日まで)もこれと同じ連立政権で、優生保護法は、この連立政権の産物と言える。 ◇ 優生保護法の優生政策: ・第1条は同法の目的の一つを「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことに求め、第4条は、いくつかの遺伝性とされた疾患や障害をもつ人に対して、医師が「公益上必要であると認めるとき」は、医師がその人に対する不妊手術(優生手術)の実施の適否に関する審査を、都道府県の優生保護審査会に申請しなければならない、と定め、また第12条は、「遺伝性のもの以外の精神病又は精神薄弱にかかっている者」についても、医師は保護者の同意を得て、同様の審査を申請することができる、と定めていた。 ・1953年に厚生省が各都道府県知事宛に発衛した「優生保護法の施行について」は、第4条と第12条にもとづく「審査を要件とする優生手術は、本人の意見に反してもこれを行うことができるものであること。(…)この場合に許される強制の方法は、手術に当って必要な最小限度のものでなければならないので、有形力の行使はつつしまなければならないが、それぞれの具体的な場合に応じては、真にやむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔(ぎもう)等の手段を用いることも許されると解しても差し支えないこと」と定めていた(※ 強制に関するこの規定は、1949年から存在)。 ・第4条と第12条にもとづく不妊手術(審査を要件とする不妊手術)は、1996年までに合計で約1万6千件、実施され、そのうちの7割が女性に対するもの。ピークは、1955年の1,362件(男女合計)。 ◇ 貧困と優生保護法: ・1953年度の教育白書は、「長期欠席」の児童、すわなち1951年4月から10月31日の間(出席すべき日数,約150日)に50日以上欠席した児童について、その理由を次のように分析している。小学生の長期欠席は「92,275名」で、その内訳は、「家庭の無理解」(25.2%)、「教育費が出せない」(8.2%)、「家計の全部または一部を任せなければならぬ」(20.1%)、「その他」(8.1%)で、これらをまとめて「家庭によるもの」(計45.5%)と呼んでいる。中学生の長期欠席はさらに増えて「156,563名」で、「家庭の無理解」(28.1%)、「教育費が出せない」(6.2%)、「家計の全部または一部を任せなければならぬ」(5.6%)、「その他」(10.8%)で、これらの合計で「家庭によるもの」(計67.2%)。 ・その次の1959年度の教育白書でも「貧困児童に対する就学奨励」が問題として取り上げられているが(第3章、第2節)、1962年度以降の教育白書では姿を消す。義務教育を妨げるほどの貧困問題は、すでにある程度、解消された、と判断されたからだろう。 ・そして、審査を用件とする優生手術(優生保護法の第4条と第12条にもとづく不妊手術)も、それと並行して減少している。 ・さらなる検討が必要だが、強制的な不妊手術の対象となった人たちの「精神薄弱」(知的障害)なるものは、貧困ゆえに義務教育を受けられなかったことの結果であって、遺伝によるものなどではなかった可能性が否定できない。 ◇ 1960年代 ・「1962年から1964年にかけて、私は東京都立松沢病院(精神科)で80床の女子“慢性”病棟(開放)をうけもっていた。当時、毎年時期期がくると、医局の黒板に、優生手術該当者を書き出すように、と指示され、いつも一、二名の名があげられた。私も受け持ち患者の一人の名を出し、その人は優生手術を受けた。神経症状をもった中度の知的障害の、“〇ちゃん”と姓の下の字で呼ばれる気のよい人で、何人かの男の患者にさそわれ、性交していることを目撃されていた。生活保護による入院で、家族はいなかった。優生保護法の何条適用といった手続き面は医師に知らされていなかった。松沢病院の医師には、社会的に進んだ目の人が何人かいたし、医療上の大きな問題は、医長も平医員も平等に発言する医局会議で討議されていた。優生手術の件が討議されたことはない。私が優生保護法の問題に気づいて、小さな批判の声をあげたのは、この二、三年後だったが、それに反響はなかった」(岡田靖雄「国民優生法・優生保護法と精神科医」齋藤有紀子編『母体保護法とわたしたち』明石書店,2002年,所収)。 【4】日本で、今、なされるべきこと ◇(非障害者の)自己決定によって広がりうる優生思想 ・出生前診断と選別的中絶 (⇒ 「淘汰を出生前に完了する」というA・プレッツの夢) ・ナチのプロパガンダ映画『私は訴える(Ich klage an)』(1941年8月上映開始): 多発性硬化症になった妻の自己決定にもとづいて妻を安楽死させた医師が殺人罪で裁判にかけられるが、医師は法廷で、自殺幇助や安楽死を禁じる刑法そのものを、私の方が訴える、と主張。 ◇ 他方で、日本でいまだ十分には認められていない障害者のリプロダクティヴ・ライツ ・障害者権利条約の第23条: 「1.締約国は、他の者との平等を基礎として、婚姻、家族、親子関係及び個人的な関係に係る全ての事項に関し、障害者に対する差別を撤廃するための効果的かつ適当な措置をとる。この措置は、次のことを確保することを目的とする。 (a)婚姻をすることができる年齢の全ての障害者が、両当事者の自由かつ完全な合意に基づいて婚姻をし、かつ、家族を形成する権利を認められること。 (b)障害者が子の数及び出産の間隔を自由にかつ責任をもって決定する権利を認められ、また、障害者が生殖及び家族計画について年齢に適した情報及び教育を享受する権利を認められること。さらに、障害者がこれらの権利を行使することを可能とするために必要な手段を提供されること。 (c)障害者(児童を含む。)が、他の者との平等を基礎として生殖能力を保持すること」。 ・この第23条を(これから)実現してゆくためにも、これまでになされた強制的不妊手術に対して、きちんと向き合うことが必要。 ◇ 各機関からの勧告と意見書 ・国連自由権規約委員会、日本政府第4回報告に関する最終見解(1998年11月): 「31.委員会は、障害を持つ女性の強制不妊の廃止を認識する一方、法律が強制不妊の対象となった人達の補償を受ける権利を規定していないことを遺憾に思い、必要な法的措置がとられることを勧告する」。 ・国連女性差別撤廃委員会、日本政府第7回・第8回報告に関する最終見解(2016年3月): 「25.委員会は、締約国が優生保護法にもとづきおこなった女性の強制的な不妊手術という形態の過去の侵害の規模について調査をおこなった上で、加害者を訴追し、有罪の場合は処罰をおこなうことを勧告する。委員会は、さらに、締約国が強制的な優生手術を受けたすべての被害者に支援の手を差しのべ、被害者が法的救済を受け、補償とリハビリテーションの措置の提供を受けられるようにするため、具体的な取り組みをおこなうことを勧告する」。 ・日弁連意見書(2017年2月16日): 「1.国は,旧優生保護法下において実施された優生思想に基づく優生手術及び人工妊娠中絶が,対象者の自己決定権及びリプロダクティブ・ヘルス/ライツを侵害し,遺伝性疾患,ハンセン病,精神障がい等を理由とする差別であったことを認め,被害者に対する謝罪,補償等の適切な措置を速やかに実施すべきである。 2.国は,旧優生保護法下において実施された優生思想に基づく優生手術及び人工妊娠中絶に関連する資料を保全し,これら優生手術及び人工妊娠中絶に関する実態調査を速やかに行うべきである」。 以上