障害の種別や立場、考えの違いを乗りこえ、障害のある人々の社会における「完全参加と平等」や「ノーマライゼーション」の理念を具体的に実現することを目的として、各種事業を全国的に展開しています。

26年4月20日更新

2026年「すべての人の社会」4月号

2026年「すべての人の社会」4月号

VOL.46-1 通巻NO.550

巻頭言 日本は権利条約に逆行していないか?


JD理事 斎藤 なを子



 2026年は障害者権利条約が国連で採択されて20年。と同時に日本では障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)が施行されて20年にもあたります。

 「権利の主体」「他の者との平等」など本来のあるべき方向と、障害者自立支援法がもたらしてきた超現実とのせめぎあいのコントラストはますます際立っているように思えてなりません。

 障害者自立支援法違憲訴訟の基本合意文書に調印した元原告の秋保(あきやす)喜美子さんは、昨年の基本合意15周年フォーラムで「物価高騰の中で、給料アップが行なわれているという社会の中で、福祉を担う人たちの給与はあまりにも低く、福祉関係事業所の「人手不足」という状態で、苦肉の策さえ見いだせない絶壁にぶつかっています。支援なしでは命さえ危うくなる障害当事者にとっては、本当に辛い現状です」と切々と訴えました。本当にやるせない思いにかられます。

 きょうされんの利用者部会アンケートでも「職員が足りなくて困っている」という障害のある人たちの声があふれました。実態調査では、全国3,142カ所の障害福祉事業所のうち84.2%が「職員が不足」(正規職員の充足率は56.8%)と回答しており、要因として「他の産業より賃金が低い」が81.9%をしめています。

 職員不足とその背景にある福祉職の低賃金は、労働対象である障害のある人の人権の水準がこんな程度でいいという裏返しです。秋保さんの「明日のヘルパーが見つからない」という悲鳴の放置は、障害者権利条約への逆行になっていると強調したい!

 こともあろうかこの6月には報酬制度を臨時改定して基本報酬の一部減額が実施されようとしています。障害者自立支援法の施行の際に応益負担とセットで導入された、職員の常勤換算*1と報酬制度の日払い方式(さらに「時間刻み」)、そして「加算」尽くしの成果主義*2は、障害福祉現場を大きく歪めており、障害者権利条約の方向とはますます乖離していく状況にあると痛感しています。

 障害のある人の日々の生活の好転に直結すること抜きには、障害者権利条約の真価は発揮されません。そうした観点からこの20年の総括とこれからの展望につなげていくための運動がますます重要であると思います。実態と願いをもとに、『正しく怒る』(「虎に翼」)ことを大切にして。

*1 非常勤も含む総労働時間で常勤に換算する人員基準
*2 「加算」は一定の要件を満たした上乗せ分。基本報酬が低いため利用者ニーズよりも「加算」取得を優先する実態もある。

視点 清水寛と近藤益雄と
                  

JD副代表 薗部 英夫



 清水寛(全国障害者問題研究会元全国委員長・埼玉大学名誉教授)はわたしの恩師の一人だ。2026年1月27日に亡くなった。1936年生まれ、89歳。

 東京教育大学、同大学院に学び、「個人・集団・社会」の統一的な発展のなかで発達は保障されるとする思想のもとに実践と研究をすすめる研究運動団体=全障研の結成をよびかけ、初代の事務局長を務めた。歴史研究者としてハンセン病や太平洋戦争下の障害児学校、精神障害兵士などの問題にとりくみ、膨大な資料や聞き取りから、平和と人間のいのちと権利を語った。

 最後にまとめたのが『詩人教師・近藤益雄 その生涯』(新日本出版社、2024年)だ。悩みながらの障害児教育への「青春行脚」。近江学園など施設めぐりの旅の終着が佐世保にあった「のぎく寮」。そこでの益雄(えきお)との一夜の語らいが、一度だけの出会いが清水の生涯の教育研究の軸となった。

 近藤益雄は、長崎に生まれた。戦前の生活綴方(つづりかた)教師から、原爆で長男を奪われ、戦後は小学校長を辞し、知的障害のある子らの学級担任となった。その教え子らと家族ぐるみで小さな生活施設(のぎく寮、なずな寮)で暮らした。たくさんの著作があり、清水らによって『近藤益雄著作集・全八巻』(明治図書)に収められている。わたしは益雄と次男・原理(げんり)の往復書簡をまとめた『道は遠けれど ともに特殊教育に携わる父と子の記録』(麦書房)に感動して、卒業論文のテーマを「近藤益雄における障害児教育実践研究―学力の思想と実践について」とした。

 母校の指導教官に相談して、清水さんに卒論指導をお願いし、ひと夏を埼玉大学の「清水研」に通った。そこで益雄関連の膨大な資料整理の作業をさせてもらった。卒論の草稿を一度読んでもらおうと金沢から訪ねたのは、ちょうど清水さんが内地留学中の京都大学・田中昌人(全障研初代委員長)研究室だった。そこでいろんな人に紹介されて、いつの間にか「お風呂に行きましょう」と近くの銭湯で長湯につかった。卒論については、あの日なにも指摘されなかった。懐かしい想い出だ。

 益雄の家族的・共同生活施設のとりくみは、戦前からの日本の長い入所施設の歴史が反映している。

 欧米では「社会に役立たない」とされた人を排除・隔離し、劣悪な環境を強いた大規模入所施設は、1950年から60年代にかけて「ノーマライゼーション(同年齢の市民と同等の権利の保障を。地域のなかにケアのある暮らしの場を)」運動によって大きく変貌した。

 日本では、1890年代から滝乃川学園を設立した石井亮一らがアメリカを視察。近代知的障害児教育の先駆者のセガンの妻が運営していた小規模の「白痴」学校の方が、千人規模の学校より教育効果が高いことを学んだ。その後の白川学園、藤倉学園なども小規模で育成・生活支援の場としての施設となった。戦後、糸賀一雄らの近江学園は、戦災孤児と知的障害のある子らの教育と教育的生活重視の入所施設としてとりくまれた。

 近江学園の理念を継承する社会福祉法人大木会の元理事長・田村俊樹はつぎのように語っている(『障害者入所施設を人・社・会の道しるべに。』(世織書房))。「施設から地域へ」「施設解体!」の声のなかで、入所施設は存在し、活動しながら困惑している。しかし、入所施設は隔離された人権のない「悪、負の遺産」なのか?。先人たちの思想、哲学(ともに暮らし、学び、育ち合う)に学び、活動内容、在り方、住まい、運営の改善が議論されるべきだ。

 「人間のねうちを、ほんとうに平等に大切にする世の中であるならば、きっと平和がまもられるにちがいない」「この子らとゆく道はひとすじ、はるかなれどもまようことなし」「のんき・こんき・げんき」。近藤益雄の言葉が現代に生きる。

 そうした先人たちの言葉を紡ぎ、希望を語り続けた恩師・清水寛。いくつになっても少年のような笑顔を忘れない。

2026年3月の活動記録



ささえあい・つながり・わすれない

JDF能登半島地震支援センターの活動に参加して

大野 健志(JDF能登半島地震支援センター・スタッフマネージャー
きょうされん「能登半島地震」災害対策本部事務局長)




連載 ロービジョンから見える世界 ②

人生の切符~営団地下鉄のサイン表示~

芳賀 優子(JD協議員(共用品推進機構所属))


連載 戦後80年・戦争と障害者 ⑺

戦争は障害者を作りだす

林 雅行(ドキュメンタリー映画監督・作家)




連載 優生保護法問題の全面解決に向けて 第8回

「検証会議」の現在地

利光 恵子(優生保護法問題の全面解決をめざす全国連絡会〈優生連〉共同代表
旧優生保護法問題検証会議委員)




連載 投票バリアフリー 第10回

投票バリアフリーは権利保障の課題 ―総務省に対する要望と対応―

白沢 仁(JD理事)




続連載 赤國幼年記・青春記 プラスエピソード3

幼き羞恥心と、森に響く聖なる歌声

古本 聡(翻訳業)




連載 エッセイ 障害・文化・よもやま話

第55回 「点字舌読」の起源をたどる

荒井 裕樹(早稲田大学文学学術院教授 / 障害者文化論研究者)




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